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日常で気づいたクイズ

さて、僕は歩道を歩き、右側前方に電柱があり、その向こうに自転車で走る人がいました。

幾何学的なことを考える感じで頭を働かせ、ちょうど電柱の向こう側に隠れてしまっている自転車ですが、時間がたてばずれてきて電柱から出てきてこいでるやつの顔くらい見えるだろう、と思っていたのですが、いくらあるいても、そして自転車が後ろの方に行ってしまっても、電柱に隠れたままで最後まで顔は見えませんでした。

このことは数学的に必然だと僕は気づいたのですが、それではさて、これはどうしてなのかを説明しなさい。


小学生の知識でできると思う。

なぜBMIの体重÷身長の2乗 で、身長は2乗するのか?

はい!!

なぜ?2乗?体積は3乗じゃん?

原理的には、やりたいことは、単位体積当たりの重さを求めたい。【体積だから、3乗がしたい気分。でも、単純に言うと、ヒトの体は、厚み方向にはあまり変化がない。さらに、縦が2倍になれば横も大体2倍になる、のような近似で考えると、体積は、身長の2乗×厚み→身長の2乗×定数、で表されるのです。】

でも、人間の体なんですよね。

少し考えればわかる!

単位体積当たりの重さを求めるとき、高さ(身長)×横幅×厚み、として簡略化します。

考え方としては、からだの大きさが違っても、厚みはだいたい一緒、で、高さが2倍になると、横幅も2倍みたいな感じになるかな、ってことです。なら、身長を2乗×厚み(一定)が体積を表すって考えていいよね?ちょっと難しいかなぁ…?

数式だと楽ですな。

高さH、幅W、厚みDとすると、

体積=H×W×D

人の体として、H=hk, W=wk, D=d (h, w, d は定数)

と考えれば、(kは体、ヒトによって変わってくるパラメータ。例えばだけど、僕が1.11 で、君が、1.12 だったりする、人それぞれの値)

体積=H×W×D=hwdk^2=(hk)^2×(wd/h) w, d, h は定数だから、=(hk)^2×定数=(H(=身長))の2乗×定数

(wk)^2×定数 の形にもかけるから、考え方としては、幅の2乗でも正しい。


続けるなら、単位体積当たりの重さ(密度と言いますね)=体重÷(身長の2乗×定数)だから、みんなでくらべるための便利な数値としては、"定数"を除いた(頑固に厳密にいうなら密度に"定数"、をかけて)、体重÷身長の2乗を使うわけです。

人の体は2次元で近似できる!ということです。


モンティ・ホール問題

確率の本を読んでいます。あと一章で読み終えます。

数学的思考や計算がありますので、限界に達した方はその時点で本ブログ記事最後の青字の文を読んでからお引き取りください。

確率のエッセンス ~大数学者たちと魔法のテクニック~ (知りたい! サイエンス)

数式を用いた問題の解法が、昔の数学者が刻んだ確率論の歴史とともに書いてあります。ふんぞり返って言ってしまえば、「確率なんて学問はギャンブルの歴史じゃねーか」 理論展開の動機となるのは、ギャンブルに勝つため、有利、不利…。あと人として救えるのは、公正のため(公正な賭け)、という観点もあるところです。勝つためということでなく、負けないため、とか。

俺は反対だけど、ギャンブルが数学的根拠をもつから、文化として成り立ち、カジノを認める法律を作ってもいいかも、となれば、カジノ法案に正当性があるのは理解はできる。

そんなことはいいや。

「モンティ・ホール問題」という確率の問題があります。

あるテレビ番組があって、その番組ではA、B、C三つのドアが用意されていて、そのうちの一つの扉の後ろにだけ賞品がおかれています。挑戦者は三つの扉のうち一つを選択し、賞品のある扉を当てれば、賞品がもらえます。そういうゲームです。一つ特徴的なことがあって、番組の司会者は賞品のある扉を知っていて、挑戦者があるドアを選択した後、一度だけ、残りの二つの扉のうち、賞品のない空の方の扉を開け挑戦者に見せます。挑戦者はそれを確認した後、もう一度、扉を選択しなおすことができます。

挑戦者は、扉を変えるべきか否か!

こういう問題ですネ。

で、どうなの?

答えは、「変えたほうがいい」ちゅーことなんです、確率的に。

信じる信じないは自由、とかはいいません。これは、そう、なので。

実際にこのゲームを「何百回も」やってみるのが一番で、それはコンピューターで状況を再現して乱数を使って実験できるので、やってみると、結果は、見事に、「変える」という選択をしたほうが二倍に、賞品を獲得する回数が、なります。


わかりやすい説明を、ここで、します。というのではなく、ここでは、つい思いついちゃった、この確率計算の、本に載ってなかったエレガントな別解答を述べます。俺ってカシコイ、とか思っちゃって。

本に載っている確率の数値は、選択を変えないで初心を貫き通す場合に賞品を引き当てる確率が、1/3、初心を貫徹せず選択を変える場合の賞品を引き当てる確率が 2/3 です。

だから、選択を変えたほうがいい。

なんで?ということです。なんで、最初に普通に選んだだけなのに、あとで司会者が空の扉見せてくれたあと、選択を変更するだけで、確率が上がっちゃうの?っちゅー。

この本を読んでから、ちょっと考えたのは、司会者の助けなしの場合、当たる確率は1/3 しかなくて、確率 2/3 は外れてしまう確率だ。だから、司会者が空の扉見せてくれたあと、選択を変更すると、2/3 の確率の寄与のほうが…とか。いや、まぁ、いい。

次の段階として、気持ちを整理してみると、こう言うことなんじゃないかな、最初に選んだ扉の後ろに商品があったとしたら、選択を変えたら、外れを選ぶことになっちゃうからバカみたいじゃん。っちゅー。

もっと整理したらエレガントになりました。俺はこの章を読んで、こういうクイズ番組があったら、この数学的根拠に従って、扉を変更すると、そう決心しました。そうすれば当たりをよりよく引ける人生になるだろうと。

すると…?見えてきました。

この番組では、「…司会者が空の扉を見せたら、扉を変更する、というやり方を俺は、やる」 と決心して番組に望みそのように実行すると、

① 最初に当たりの扉を選択していた場合は、外れ、
② 最初に外れの扉を選択していた場合は、当たる

ということなんです。どういうことか。


①②③

上は、扉①の後ろに賞品がある場合を示しています。以降、この図を参照しながらシミュレートしてみてください。

最初に扉①を選択した場合、このままでは賞品GET です。が、この後司会者は扉②か③を見せて(どちらかは司会者の気まぐれ、いずれにしろ空)、変更を許可します。で、変える、と決心しているので、変更しますが、②も③も空なので、いずれにしろ空を選ぶことになり、結果的には損な気分になりますが、外れです。最初に①という当たりを選択していると、結果は、外れ。

じゃぁ、最初に②を選んでいたら?司会者が扉を見せるとき、司会者は、空の扉を見せることになるので、①と③のうち、③を開けます。司会者が空の扉を見せた後、自分の選択を変更する、と決心しているから、変えます。つまり、①を選択することになり、賞品GETです。

最初に③を選んでいた場合も、司会者は②を開け、僕は①を選択し、賞品GETです。

つまり、初めに賞品のある扉を選択していれば外れ、賞品のない扉を選択していたら逆に当たる。

最初賞品のある扉を選択する確率は1/3 =結局外れる確率
最初に外れの扉を選択する確率は2/3 =賞品GET の確率

扉を変更することにすれば、以上のような確率となるのです。

最初に正解の扉を選んでいれば、それを変更するのだから、結果賞品を得ないことになりますがその確率は1/3 で、残り二つの扉の場合、つまり最初にそれら空の扉を選んでしまった場合には司会者の援助のおかげで逆に賞品をGETでき、その確率は扉二つ分で 2/3 なのです。

扉を変更することにする=扉を変更するという「戦略をとる」というとわかりやすいのでしょうか。

あと、扉を変えない場合に当たりを引く確率は、1から扉を変える場合に当たる確率を引けばいいので、1-2/3=1/3 です。

ここまで書いて気付いたのは、じゃぁ、扉を変更してもいいと司会者に言われたときに、気まぐれで変更したり、しなかったりした場合はどうなるの?という状況です。それこそが人間らしい感じがします。このモンティ・ホール問題で、まずは、そういう迷うの状況を思い浮かべるのではないか、と。俺はたまたま、「こういうクイズ番組があったら、変更することに決める」という視点に立ったからなにかわかっただけで。

「扉を変更してもいいと司会者に言われたときに、気まぐれで変更したり、しなかったりした場合」

ネ。わかんなくなってきた。。

まずは、ランダムで変更するかしないかを選択する場合、コンピュータでシミュレートするのが面白いのでは?

1/2 * 1/3 + 1/2 * 2/3 = 1/2 かな。ランダムにしちゃうと、当たるも八卦当たらぬも八卦になっちゃいます。(変更するのだと)決心してやり方を決めていたほうが有利。知恵の勝利か。

補足しておくと、司会者が扉を見せたとき、「変える=もう片方のを選ぶ」とすればこの問題の意図する通りとなりますが、どちらにしようかな?と改めて選択しなおす(司会者が扉を見せたとき)とすると、題意からそれて、1/2 * 1/3 + 1/2 * 2/3 の計算のほうになります。二つのうちから「改めて選択しなおす」と確率が五分五分に戻っちゃって意味がなくなるんですね。その点も初めのうちはこの問題を少し面倒にしますね。


【俺の一服(いや、たばこはやめましたが)】 数学者は、なんか正義な感じがするので、不健康な賭け事(賭け事なんてもともと不健康)が行われていた時に、あの賭けは親のほうが有利、とか、どういう賭けが公平なのか、とか、負けている人がどんな戦術をとったら一番有利、とかいう動機で理論を構築してきたに違いない!


勝つまで続ける賭け~ぎゃんぷらー精神
P158 問題11-2 読むと、「掛け金額を最適に調整」ってなに?ってなるのですが、ギャンブラー精神で行けば理解できます。

990ドル持っている。1000ドルに増やしたい。勝つと掛け金の36倍になって戻ってくる。

ギャンブラーのエッセンス

だから、じゃぁ、1ドルかけてみよう。勝つと、36ドル。だから、990-1+36=1025ドルになる。勝てばね。
負ければ、990-1=989 ドル。
989 ドルの時、1ドルかけよう。すると、勝てば、989-1+36=1024ドル。

なんかそんな感じで、1000ドル越えるまで続けるのなんか楽勝、負け続けるなんてねー、負け続けることのほうが難しい、いつか勝てんだろ、金の続き限り勝負…っていう。発想。

本では、1000ドルにぴったりなるように計算されている。

ギャンブル的に言ったら罠。例えば600ドルまで減ったとして、いくら賭けなければいけないかというと、

600 + 払い戻し = 1000

にしなくてはいけないから、600-x+36x=1000で、x=400/35≒11.4...、だから、およそ11ドルもかけなくてはいけないという。負けが込むとだんだん、賭けなくてはいけない金額が増えるという…。ギャンブラーならだれしもこんな計算せずともわかります(と思います)が。

この例だったらしかし、一回の賭けで勝つ確率が1/38 とあるので、負ける確率が 37/38 。990 ドルもあるので、いっぱい賭けができると思うので、負け続ける確率 (37/38)^n は低くなって…という。何回までなら負けられるかを計算して、何(n)回負け続ける確率(つまり (37/38)^n のこと)出して、それを1から引けば目的の(いつか勝って1000ドル達成できる)確率です。


そんなわけで、いや、そんなわけだかどうか知りませんが、俺はギャンブルは嫌いです。

この本を読む前に、同シリーズ・同著者のホイヘンスが教えてくれる確率論 ~勝つための賭け方~ (知りたい! サイエンス)を読みました。

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