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天気



最高気温が氷点下とか、最低気温が-7.9℃とか、おそろし。天気侮りがたし。

短距離走と小指

小学1年か2年の時。

たいして足は速くなかったと思う。

亮君は速かった。速いねぇ、みたいに近寄ってくと苦笑いしながらあっちいけみたいにするタイプの、ナイスガイだ。

小指を閉じると速く走れる、と教えてくれた。

小学3, 4年の担任は角田。

角田がストップウォッチで測った50m、 8秒9 だった。クラスで一番速かったのは吉開という女だった。力強い走りだった。あとで親が離婚し(たぶん)、本田となった。

小学5, 6 年、確か 6 年のとき。なぜか、5, 6 年両方の記憶がない。運動会は両方あったはずなのに。

徒競走、足が速い順で6人が一組で走る。俺は一番速い組。亮君とパークとカトチャと、南場、あとだれだったかな。緊張のあまりビリ。登校班区域別リレーではメンバー。相撲部屋の息子のツッツが躍動感あふれるどうどうとした走り。身長は大きくないのに。走り方から体のしなやかさが伝わってくる。あとで地下鉄の駅で聞いたが医者になりたいらしかった。どうなったかは不明。相撲部屋は今はマンション。出場メンバーになるために、副班長だった俺が班長のトモ(でぶっちょ)と入れ替わった。好きだった黒須にバトンを渡された。おとなしい子で足は全然速くないのにただ班長だから選ばれた。

中学一年生、100m 13秒9。学年320名のうちの上位の名が張り出される中にかろうじていた。体育祭 (運動会?) リレーメンバー。

水泳大会は平泳ぎの選手だった。水泳はしかし、たいして速くない。


オレ、まぁまぁよくやった。

自慢(中学): 勉強は実質的に学年一。最初の中間試験では勉強をまったくしないで、試験期間前にへらへらしながらあそぼーぜーとか言いながら近寄っていった良(ヨシ)に煙たがられながら、20位。へぇ、なんにもしないでこれだったら、やったら一番いけるんじゃね?ってことで猛烈に一位を目指す。しかし、猛烈に勉強したのはいつも試験前だけで、一位を取るためだけにあらゆることを記憶した。

中一のとき500点満点の496点を取り一位。芥川とか夏目とかだったら、常に学年一なので、その伝説には及ばないが。中二の時の数字はすべて三位以内。一位のやつがいると隠したがるところを、どこからともなく情報を聞きつけ、近寄って行ってはすげーなお前、みたいにいつもやってた。一位のやつも次になると10番以下に下がっちゃったりだとか、そんな中、この成績ならやっぱ学年一を自称してよかろう。担任には安定と言われたが、一夜漬けの一夜が試験前準備期間の二週間にのびただけの勉強法だったので、いまさらながらとても安定とは言えなかった。知識の安定は常日頃からの勉学によってもたらされる。俺は試験前以外は遊んでいた。

三年の時も496点を一度取った。英、数、理、社 オール100点、国語が弱く いつも足を引っ張る 96点。たぶん終始460点以下は取ったことがない。内申はいくつだったろう、英国数理社5、技術5、音楽は4、美術は3か4、体育は4だっただろうか。+生徒会役員をやった。

地域的に小規模に展開する塾に通っていた。滋野先生という恩師に徹底的に受験英語を詰め込まれた。塾内テストの偏差値は80を超えていた。駿台模試英語全国9位(92点)および第2回では2位(98点(2名);100点は全国で1名)。おかげさま。三科目では50位とか。

志望校だった武蔵高校に落ちた。


高校は糞両国高校というところに行った。サイテーの学校だった。迫害を受けたので高校には居場所がなくなり、中学のときのやつらが寄り集まっていたところに所属した。俺は吸ってないが、ほかはタバコを吸っていた。俺の居場所ではない。学校に行く毎朝がつらかった。一限をよくさぼった。高三の春、中退するところまで話が進んだが、かろうじてとどめられる。実力テストだけは譲らなかった。最高時、学年二位だった。一位は馬木という女だった。1点差で負けた。三位以下とは10点差と大きく差が開いていた。高校の時に英語をまともに勉強した覚えがない。中学の時の知識ですべて事足りた。実力テストの上位者張り出しでは常に名を連ねた。実力テストの数学では、答えが正しいのに大きくバッテンをつけられたのを訂正してもらうよう抗議に行ったこともあった。