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バカの壁を読んで~感想文

養老猛司 バカの壁を読んで。

おやじのバカの相手をするのがうんざりで、人生の邪魔で、おやじをバカと扱うと、こんどは自分がバカということと闘わなくてはいけなくて、ちょい面倒で、要するにあぁこういうのがバカの壁という問題なのかと思って、何とかなるかと思って読んだが、全く違った。(しかし母ちゃんがいなくておやじと2か月も2人だけで過ごした結果、よく付き合っておやじをバカだと断言してなんの躊躇もしないことができるようになった。)

別に今の俺には関係ないほぼどうでもいい話。俺は自分のことで精一杯。結局みんなそれ。だから養老氏の理想みたいなものにはなれない。(まぁ昔の人が働かないで食えること=現代のホームレスが理想だったという情報は役に立った、それが今のおやじ。何もしない。よく生きていられると思う)

そもそも養老氏が考えるような、きちんと考えるということをやりながらまっすぐ生きていたけど、社会でいじめにあって仕事も金も女もない状態で、それどころではなくなったのだ。

自分のことだけでなくもっといろいろ考えなければという理想は、結局は、人生生きていて、自分は自分の力でなんとかなる、という、お金でも能力でもいいけど、そこの段階に達しないと到達できない。みんな自分の本当の力で、これからいろいろ起こるかもしれない行く先を何とかやっていけると思えている人間なんかほとんどいなくて、幸せそうな芸能人の成功の様子を見せられて自分もゆとりを持ちたいと必死で不安なのだ。

簡単なできることとして人のことをわかろうというのが本にあった。そして俺というのはほんとうに人のことがわかる人間なのだ。すると、外へでてもみんな自分のことしか考えていないというのが本当によくわかる。そうやってみんな競って生きているわけだから、俺も気張って自分のことだけを考えてやっていかないと人生立ち行かないと思うようになる。

いい人はバカを見るというのは今の世の中本当にそう。人の立場をわかってあげるとこっちが持たない。そして俺はまだ身が確立していないのだ。養老さんくらいお金も能力もどうにか、競争の超えるところを超えてきて人生の安定のみえる状態にあれば人のことをわかってやっていけるけど、身も確立していなくて抵抗力のない俺は、そして思いやりあるし人のこともわかる俺は、ミイラ取りがミイラになって、自分のことしか考えなくなった。それでも人のことを分かってあげようとするところが出てくるとき、自分で無理やり他人事としてつっぱねる。自分優先でいかなくては。そんな努力をしている。

これが俺のバカの壁なんだろう。

俺はバカな社会のせいで邪魔されるし救われもせず、自分を確立できていないのだ、能力はあるのに。世の中は所詮そんなものなのだ。

でも思うのは、養老さんの本は啓発して考えをいい方向に導こうとする方法で世の中をよくしようとしているけれど、いい力が腐敗に負けているので、根本的に、世の中をよくするなら腐敗を対処、排除したほうがいいと思う。お笑いも一歩間違えれば腐敗。


でも、人のことがわかるようになりなさい、という部分を、みんな自分のことしか考えていないのが現実、だと、俺自身諦めていることを書いたけど、まぁ人の気持ちがわかる世の中だったら、俺のいじめのトラウマは救われている。

おれのいじめの件は、結局人が理解してくれて人としてまともだと背中を押してくれれば、そういう味方がいれば救われるんだけど、いかに世の中に人のことをわかろうとしないで、問題を起こさないようにせこせこ自分のことだけを考えているかの証拠で、あの理不尽さも俺のこともいっこうにわかったもらえずに、救われていない。

被害者なんていう人たちも、被害が比較的わかりやすい一部は人々に訴えて打って出てるけど、大多数はどうせ俺、私のことなんかわかってもらえない、と思っている、まさにそれがいかに、みんな人のことは考えないか、ってことだろ。twitter でつぶやいたって、とても拾ってもらえない。無視だ。ついでに言えば、拉致被害者なんてのだって、あれだけ訴えているのに、他人事だと思う人は大勢いる。テレビなんかみんな他人事だとおもってボケっと見てるんだから。


おれだったら、元気がある俺なら、ちょっと様子がおかしいと思ったら、声をかけて味方になっていったん話を聞いてみるくらいなのである。逆境に遭ったりすれば、ますます俺は人のこと、とりわけかわいそうな人のことはわかるようになる。しかし、困っている人が、逆境で弱っている人間にわかってもらっても、弱い人間に分かってもらうのは楽しいことでもないし勇気づけられもしないので、その、逆境も、わかってあげられることも社会的に、価値がない、全く価値がないかといえば、わからないけど。人を分かる姿勢は、こういうふうにネガティブな結果になる。

さらに、いじめの件。何が困ったかというと、人のことを理解しようとする俺にとって、なぜそういうことをするのかという点が、一番解せない。対人間として、解決しない。いまでも、それは理解できない、いや、理解はできる、理解は十分できる。それが人間の低俗でよどんでいてみたくもない人間のダークサイドから来ていることがよくわかる。くそみたいな世界を通って薄汚れてしまった俺は、それを、単に形式的に理解するだけでなく、実際にその気持ちを思うことすらできる。もはや廃人のようなものだ。

それは、人として受け入れることはできないし、裁かれるべき以外の結論しか導かれない。理解ができるからこそ邪悪過ぎて忘れることも見過ごすことも到底できない。それが裁かれなければ、俺はそれを正しいものとして、人生において正しいものとして受け入れなくてはならないことになるし、実際おれは時間の経過とともにそれをいやがおうでも無理やり受け入れさせられて、低俗な人格に侵食されている。邪悪な人の気持ちを理解して、さらには受け入れなくてはいけないことほどの苦痛は、ないではないか。人のことを「エル」って、気づかせないように呼びながら会話から排除したり、最終的にはエスカレートして、泳いだ直後で疲れている裸の状態の人間を数人で取り囲んで監禁してみたり。いくら俺がなにか、例えば空気が読めないにしても、それに因縁をつけてそういういじめの行動をとる。受け入れるには残酷すぎる。


なわけで、人のことを分かる姿勢、という理想が成立するためには、やはり悪がもっと裁かれなければいけないし、人のことを分かるよい人間が、邪悪な者がさばかれないばかりに、「理解」することは大事だが、それを正しいものとして「受け入れ」までしなくてはならず、悪人化してしまうことを防げるくらい、世の中が安全でなくては、ならない。まぁ、この結論は中学生の作文程度の結論だけど。

俺自身としては、俺を、まるで悪いことをしていないのに刑務所にいるか無期懲役のような人生を送るまでに追いやったあいつらは、とらえ方によっては死ぬより残酷といえる、苦痛のまま生かすという境遇を俺に味合わせたわけで、当然、死刑しかない。それか5億円程度もらうか。死刑廃止論の人々ごめんね。やられたらやりかえす∝殺されたら殺し返す。という考えと気持ちは、絶対に消えないし、封じたら、平等の概念がくずれるのは必至です。死刑廃止論者は、自分はあくまで肉親が殺されたとしても復讐はしない、そいういうかもしれない。でもね、それはあなたにお金があるから、あるいは安定だからです。お金がなかったり、夢を持っている人が、エネルギーを使って必死に前に進んでいかなければいけないときの、損得の概念は、あなたにはわからないと思うのです。

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